棒高跳の旅 in アメリカ・ヒューストン(来間編)第4話
いよいよ最後の回です。
前回までの記事はこちら
ラスト10日に入っても新しい発見や気になることばかりでした!
相変わらずトラブル続き...。
経験値アップ!
ということで最後までお楽しみください。
【Day.20】
ロックバック後のクリアランスまでの動作の練習で、バーベルを使って、瞬発的に力を加える練習を行いました。
方向づけや瞬発力など、今までやったことのない練習で興味深かったです。
また、柔らかいポールを地面にさし、曲げて反発をもらって吹っ飛ぶ練習をマットの上で行いました。
床でやっていましたが、空中でやることの難しさを体感し、取り入れていこうと思ったし、日本でもできる練習だなと思いました。
【Day.21】OFF
甘いドーナツを自分で買いに行き、堪能しました。
すごくファンシーな建物で売っており、海外らしさを感じましたが、その横で酔っ払いが潰れていたので、そこも海外らしさを感じました。
【Day.22】アクティブレストと診察
膝の捻挫もあり、ライス大学のドクターに診てもらいました。
関節マウスがいくつかあり、圧痛、癒着があり、膝の皿の下に小さな軟骨軟化症があるが、構造的には良好に見えると言われ、一安心しました。
ライス大学のトレーナールームにある、治癒のための浴槽があり、久しぶりに湯船に浸かり、日本が恋しくなりました。
この浴槽には2000万の酸素が含まれており、体全体の回復が早まるそうで、今後も使えることになり、とても嬉しかったです。
【Day.23】OFF
サンクスギビング(感謝祭)のため、練習は休みでした。
バトラーと牛角に行ったり、カフェを巡ったり、芸術に触れたりしました。
ヒューストンはアートの街と言われており、いたるところにアートがあります。
壁一面にアートがかかれていたり、おしゃれなオブジェクトがあったり、散策していて飽きません。
自由の国を非常に感じました。
荒れているという言い方もできますが、車を運転していても思いますが、皆が寛大なんだなと感じました。
【Day.24】跳躍練習
跳躍前に治癒風呂に入る予定が、1時間待っても開かず、寒い外で待ったが結果入れずに跳躍練習のアップに移りました。
膝が思わしくなく、8歩のポールポップを始めましたが、脱力感があり、上手く力が入らなかったため、早々に跳躍はやめました。
ケアと膝に負荷のかからない体幹や上半身をトレーニングして、この日は終了しました。
円盤投選手がボーリングのピンを投げて練習しているのを目撃し、使えるものは何でも使う野性味というか、対応力というか、あるものでやるというサバイバル力を見習いたいなと思いました。
なんでボーリングのピンがあるのかは置いといて。
【Day.25】OFF
治癒風呂に入る予定で1時間待ちましたが、結果的にこの日もお風呂に入れませんでした。
バトラーと男子学生たちと野生のワニを見るために、ブラゾスベンド州立公園に行きました。
そこで会った初めましての人4人とすぐに友達になり、9人でワニ探しが始まりました。
フレンドリーさが海外過ぎて驚きました。
学生たちはワニを探しながらずっと棒高跳の話をしており、バトラーにはもう棒高跳の話をするなと何度も止められていました。
野生のワニを初めて見ましたが、途中まで作り物かと思うくらい全然動かず、実際はこんな感じなんだって思いました。
その後、初めて銃を発砲しに行きました。
拳銃しか打ちませんでしたが、反動がすごく、ゲームですぐにエイムがずれてしまう仕様に納得しました。
貴重な体験ができて良かったです。
帰りにバトラーからカウボーイハットをプレゼントしてもらいました。
これで僕も立派なTexasボーイです。
【Day.26】
明日、明後日が跳躍予定なので、それに向けて走りやドリル、体幹系のトレーニングをしました。
膝の調子は微妙で、セルフケアは毎日していますが、治療も受けていないので、体の疲れはかなり溜まっており、やりたいことを8割で抑えて練習を行っています。
怪我をしないことが強くなるために必須だと思うので、特にアメリカ遠征では無理をしないよう8分目を心がけました。
【Day.27】跳躍練習
膝は過伸展気味になると痛みと違和感が出るようになっていたので、痛みが出る動きはしないように練習に取り組みました。
中助走で16F170を使えたので、良かったです。
適切な位置での踏切とポールドロップ、得意のハローをさらに過剰に行うことでポールがきちんと立つようになりました。
得意だからと言って意識しないのは甘えだなと痛感しました。
得意なところだからこそもっとやれると思って今後取り組んでいきます。
【Day.28】跳躍練習/練習最終日
練習最終日に集大成の跳躍ができ、とても満足でした。
昨日学んだことをきちんと生かし、疲れた中でも良い練習ができました。
あとは日本に帰ってアメリカで学んだことを落とし込んでいく作業になるので、あるポールで最大限できることを模索、チャレンジしていければと思います。
【Day29】
無事5時に起き、5時半にIAH空港へ出発できました。
空港近くのガソリンスタンドで給油しようとしたら、なぜかできず、最悪割高でもレンタカーで入れてもらえばいいかという考えでレンタカー返却の場所へ到着(サバイバル力付きました)。
「鍵つけたまま置いといて!」という返却スタイルで、7時からしか営業していないのに、6時半に返却できるというありがたさ。
無事に返却できたと思い、シャトルバスで空港に向かい、荷物を預けようと並んでいる時ふとポケットに手を入れると、車の鍵が...。
頭を高速回転させて何をすればよいか考え、行動。
レンタカーを停めた場所に行くとぽつんと自分の車だけ置いてあり、店員さんに謝って鍵を返却し、今度こそ無事空港へ。
登場ゲートを通り、機内案内を待ちなんとか機内へ乗り込むことできました。
帰りのフライト時間は14時間。
行きの飛行機で誓った「通路側の席」を取ることができたため最後のグループで案内され、荷物を入れるスペースに空きがなく、離れたところに入れました。
その際、フライト中は開けられないので忘れ物がないようにと忠告され、色々と持って座席に到着。
隣が空いており、かなりくつろげる空間でした。
体的には非常に楽で、行きの飛行機での教訓もあり、ヒートテックも着用。
死角はない。
しかしそう上手くはことが運ぶわけもなく、眠くなかったり、眠くなってもなぜか寝れなかったり。結局14時間中1時間しか寝れませんでした。
寝ていないということはお腹が空きます。
そう、カバンはもう取り出せない。
空腹との闘いでした。
やっと朝食の時間になり、腹ペコな僕は、CAさんに「お腹減ってるから量が多いやつお願い」と言ってみました。
すると2つ朝食をくれたのです。
何事も言ってみるものですね!
これもアメリカ遠征で学んだことの1つです。
ダメ元でも言ってみたらなんとかなることもある。
初日のレンタカーでのお金ももしかしたらもっと安く済んだかもしれません。
あの時は受け入れることしかしていませんでした。
もっと図々しくというか、交渉などもしていくのもありなのかなと思いました。
【Extra】
帰国してしばらく経ち、2日目のトイレの詰まりの修理代として、53,000円の請求が...。
最後までネタに尽きないアメリカ遠征でした。
棒高跳のことももちろんですが、生きる力が付いた遠征となりました。
海外経験が大事な理由を、身をもって経験でき、本当に良かったです。
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