【メンバーインタビュー】no.26 奥玉 南
はじめまして!
NPO法人ボウタカの奥玉 南です。
自己紹介の機会を頂いたので、早速お話しをさせて頂きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!
【経歴】
岩手県立盛岡第二高等学校
⇒日本女子体育大学
⇒日本女子体育大学 大学院
⇒非常勤講師
⇒日本女子体育大学 助手
現在:専門学校専任講師、日本女子体育大学 跳躍ブロックコーチ(棒高跳)
【棒高跳をはじめるまで】
大学1年生の秋頃、大学で陸上競技部に入部したのはいいものの、高校生から続けていたハードルでは周りに全く歯が立たず、走幅跳や三段跳に挑戦しても周りには沢山選手がいて、私このまま陸上部にいて意味があるのか?と思っていた時、先輩が「棒高跳」を始めたのを見ました。
競技人口も少なそうだし、もしかしたら私にもできるかも…?と思った事が棒高跳を始めるきっかけでした。
しかし、当時のコーチに種目変更を相談すると
「お前は能力が低いから認めない。でも、倒立歩行と懸垂逆上がりとハードル走と後転倒立ができたらいいよ!」
と言われてしまいました。
当時は「なぜ!!意地悪!!」と思いましたが、、
今考えてみれば当時はそんな事も出来ないくらい運動能力が足りていませんでした。
安全面からみても、そのままだったら大怪我していたかもしれません。。
今ではこの課題があって本当に良かったと思っています。
そして課題に取り組み、合格できたのが大学2年生の9月頃。
なんと約1年もかかってしまいました(笑)。
当時は陸上部にいるだけで必死だったので、課題の練習をしながら、1年生の仕事をするのはとても大変だった記憶があります。
でも、「棒高跳をやってみたい!私も絶対活躍してやる!」それだけの思いで頑張っていました。
当時もう一人同じ条件で棒高跳にチャレンジしていた同期もいたので、一緒に合格を目指して頑張っていた日々が懐かしいです。。(同期も合格しました!)
【やっと棒高跳をはじめる】
やっと棒高跳をはじめてみると、本当に楽しくて仕方がありませんでした!
とにかく楽しくて、上手くなりたくて、授業中はずっと日本選手権やインカレの動画をスロー再生したり(あるあるですね。。)、棒高跳中心の生活を送りました。
当時大学には棒高跳の設備がなかったので、先輩方や後輩達の繋がりで色々な練習場所へ行かせてもらいました。
東京、神奈川、埼玉、群馬、茨城など、、
ベルドームに初めて行ったときは、こんな夢のような空間があるのかと感動しました。
そして、どの場所へ行っても、何者かも分からない私たちに棒高跳を教えてくれる優しい人たちばかりでした。
棒高跳自体ももちろん楽しかったですが、色々な場所に行って、大好きな仲間と棒高跳をして、棒高跳に関わる人達の温かさに触れて、それだけで棒高跳はじめてよかった~!と心から思う日々でした。
競技面でいうと、最初はポールの持ち方もろくに勉強せず、右利きなのにサウスポーとして数ヵ月練習をしていたという黒歴史もありつつ、、「全日本インカレ出場!」という目標を立てていました。
練習では、私はとにかく跳躍練習で走り抜けを全くしないタイプでした。
限られた練習環境だったので、跳躍をする一分一秒一本が私にとって全て無駄にできないものでした。
この環境も、今考えれば私を成長させてくれたひとつの要因だったのかなと思います。
そして、全ての試合で毎回「絶対自己ベストを跳べる気がする!」と本気で思っていました(笑)。
最終的に、大学4年の7月に当時の日本インカレと個人選手権の標準記録の3m50を跳び、目標としていた試合に出場することが出来ました。
本当に嬉しかったです!!
これが私の自己ベストになりました。
全国大会で入賞したり、活躍するような強い選手にはなれませんでしたが、棒高跳を始めてから今までの経験は私にとっての宝物です。
【今】
今は母校の大学でコーチとして棒高跳に関わっています。
助手として母校に戻った時にコーチという立場を頂き、それ以来続けています。
指導者になるために大学院へ進学し、陸上競技の研究をしていたので、本当にありがたい機会を頂きました。
ちゃんとコーチ出来てるのか?と不安に思うことは沢山ありますが、何か一つでも選手の力になれるように、試行錯誤しながら選手一人ひとりと関わることは楽しいし、幸せなことだなと思っています。
何よりも、これまで関わってきた選手たちが、運が良い事に本当に良い子たちばかりで、みんなのためなら頑張っちゃうよ!と思えることが、私の原動力になっています。
現在は専門学校で教員をしながら、学外コーチという立場で週1回の練習と試合帯同等が主な活動です。
出来ることは限られていますが、全力で棒高跳に取り組めるようにしてあげたい!という思いは変わりません。
指導者は学び続けなくてはならないとよく言われますが、勉強も研究も一人でできる事には限界があると思います。
私は、喝をいれてくれたり、助けてくれる人達がいるおかげで、まだまだ!と思うことができるし、頑張る選手達からパワーをもらっています。
周りの支えがあってこそ、私は今も棒高跳に関わることができているので、感謝の気持ちを忘れずに、これからも学び続けていきたいと思っています。
【これから】
NPO法人ボウタカへは、2024夏のキャンプへの参加がきっかけでメンバーとして加入させて頂きました。
加入した理由は、棒高跳のために何かしたい!という漠然とした思いの他に、目の前の選手達のために何かプラスになる活動をしたい!という思いもありました。
私はこれまで女子選手と関わる機会が多く、現在関わっているのも女子選手です。
しかし、指導者として棒高跳の論文や指導書をみると、「参考記録は男子選手」、「練習方法の解説は男性の絵」など、まだまだ男性が中心であることに気付きました。
男子の基準で女子に当てはめようとすると、できないものや難しいものもあり、アレンジしても本当に正しい選択なのか、経験不足で悩むこともありました。
NPO法人ボウタカの活動では、今いる素晴らしい選手達や、未来の選手達、そして指導者の為にも、女子のための「目指すべき技術」、「取り組むべき練習」、「体力・技術の基準」を明確にすることが、ひとつの目標です。
目の前の選手、全てのボウルターが全力で棒高跳に取り組むためにも、これからの活動を頑張っていきたいと思います。
長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました!
奥玉 南
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