【メンバーインタビュー】no.27 小島 瑛生

こんにちは!

NPO法人ボウタカの小島瑛生です!


今回は僕と棒高跳についてご紹介させていただく事になりましたので、ここでお話しさせていただきます。


【経歴】

まず自己紹介として簡単に経歴についてお話しさせていただきます。


千葉県印西市出身

印西市立船穂中学校  自己ベスト3m50

千葉県立印旛明誠高等学校  自己ベスト4m41

国際武道大学  自己ベスト4m90


2002年生まれの22歳です!

目立った競技成績はありませんが、大学4年時には陸上部の主務を務めさせていただきました。


【棒高跳との出会い】

僕と棒高跳との出会いは中学1年生の夏でした。

それまで陸上部で走幅跳をしていたのですが、足が遅かった事と怪我の影響で種目を変えることになりました。

その時顧問の先生が僕に、「棒高跳は競技人口が少なくて入賞しやすいからいいんじゃない?」と勧めてくださり、とりあえず始める事になりました。


その当時僕の中学校には棒高跳をやっている選手はおらず、奇跡的にボックスと小さな高跳用のマットが1枚あるだけで、当然ポールなんて1本もありませんでした。

棒高跳を最初に勧めてくださった顧問の先生も、教員2年目の陸上未経験の先生だったので全く棒高跳の知識が無く、2人で右も左もわからないまま練習していました。


僕のファーストポールはそこらに落ちてた竹だったんですよ(笑)


そんなこんなで参加した「棒高勉強会」という名の記録会に参加し、1m80を跳んだ僕に対して周りの大人が「君、才能あるよ」などと盛大にヨイショするものですから、気分を良くした小島少年はそこから本格的に棒高跳人生を歩み始めました。


顧問の先生も未経験ながら熱心に棒高のことを勉強し、真剣に僕に向き合ってくださいましたが、先生の努力虚しく僕は県大会入賞を果たすことはできませんでした。

ただ、僕の人生を180度変えてくださった先生には感謝しかありません。



そして高校に進学。

高校は「棒高勉強会」を開催していた千葉県立印旛明誠高等学校に入学しました。

名の知れた強豪校ではないですが、顧問の先生や同期、先輩後輩に恵まれ、思う存分棒高に熱中しました。


しかし、ここでも棒高では県大会入賞無し。

当時は、ロングスプリントに自信があったことから、高校3年時の進路選択の際に、顧問に大学では十種に転向しようか考えていると打ち明けたところ、


「お前はまだ伸びる。大学でも棒高に専念して本当に限界を感じてからでも遅くない。」


と言っていただいたことで再度覚悟が決まり棒高専念を決意。

実際、大学でも何度もこの言葉に救われました。



大学1年目は慣れない一人暮らしに苦労しながらも、新型コロナウイルスの影響で授業が全てオンラインだった事もあり、棒高漬けの毎日を送っていました。


そして大学2年。

村山先生(NPOボウタカメンバー)との運命の出会い。

村山先生には、ただ棒高だけをするのではなく、棒高(陸上)を中心としたそれ以外の経験をすることの大切さを教わりました。(棒高に関してはボロクソでしたが笑)


その結果、ボウタカキャンプに参加してたくさんの繋がりを作ったり、陸上部の主務になり競技だけでない陸上の裏側の大変さを知ったりと貴重な経験をたくさんすることができました。


競技の面でも一応、関東インカレには3回出場させていただきました。

(ここでも入賞はしていませんが笑)


そして10月に満を持して引退。

結果的に中学の顧問の先生が言っていた「棒高は入賞しやすい」発言に騙される形(笑)にはなりましたが、最後の最後まで本当に楽しく、そして悔いなくやり切ることができました!


ここまで続けさせてくれた家族や、指導してくださった先生方には本当に感謝しています。

約10年間ありがとうございました。



【小島瑛生のこれから】

2024年の夏のボウタカキャンプの際に「NPOボウタカに入りたいです!」と榎さんに相談したところ、あっさりOKをいただき晴れてボウタカメンバーになりました。


早速ボウタカの方では、「ストリートボウタカ」と「ボウタカラジオ」のチームの一員として活動させていただいています!

これまでの経験を活かし大活躍したいところですが、他のメンバーの発想や行動力に毎回圧倒されてしまい、自分はまだまだ甘ちゃんだなと実感します(笑)


ですが、それと同時に、日々新しいことを学び今まで以上に刺激的な毎日を送ることができていて、これまで以上にたくさんの経験をすることができています!


もう毎日楽しくてしょうがない!!


これまで棒高跳に関わってきて強く思うのは、「こんなに面白い棒高跳をよく知らない人がいるなんてもったいない!」ということです。


「もっと棒高のことを知ってほしい」

「もう棒高跳と走高跳を間違えられたくない」


そんな想いを胸に、「地域に根ざした棒高跳」と「棒高跳をもっと競技場の外で」を実現したいと思っています。


たくさんストリートボウタカを開催し、いつか子どもからお年寄りまで、大勢の人が棒高跳に親しんでもらえるようにするのが僕のボウタカでの最終目標です。


一方、進路はどうなったのかと言うと、ありがたいことに2025年の4月から夢だった高校の教員として働く事になりました。

これまでお世話になった先生方のように生徒の人生に良い影響を与えられるように、何より「生徒の横に立ち、共に成長できる教員」を目指して行きます。



【最後に】

僕は、サン=テグジュペリ作「星の王子さま」の一節である『大切なものは目には見えない』と言う言葉が大好きです。


これは、「目に見える物質的なものだけに価値があるのではなく、心の中にあるものこそが本当に大切なものだ。」という意味です。


これまで競技をしてきて、目に見える結果ばかりに囚われていた時期もありましたが、棒高を通じて沢山の人から『大切なもの』をもらったと思っています。


なので今度は僕が、沢山の目に見えない『大切なもの』を多くの人に還元できるように頑張ります!!


稚拙な文章だったかと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました!!

これからもNPO法人ボウタカをよろしくお願いいたします。



(writer:小島瑛生)

Boutaka Channel

「Boutaka Channel」は、全てのボウルター(棒高跳競技者)の『もっと高く跳びたい!』を叶えるために活動します! 運営:NPO法人ボウタカ

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