日本一美しい跳躍・竹川選手のトレーニング大全

この度、ボウタカチャンネルでは、日本歴代5位となる5m70の自己記録を持つ竹川倖生選手に、棒高跳の技術と中学時代から現在までのトレーニングに関して独占インタビューを行いました!



話は大盛り上がりし、合計で約3時間に及ぶ長編に!!

ボウルターが集まって棒高跳のことを話すと、長話になるのは仕方がないんです・・・


本記事では、インタビューの中から、トレーニングに焦点を当て「竹川選手の中学〜現在までのトレーニング大全!」として投稿します。


続編、「竹川選手が考える『もっと高く跳ぶ』ための秘訣」は、今夏に発刊予定で編集を進めています「ボウタカマガジン」に掲載いたします!


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それでは、本編スタート!!

今回は、竹川選手に中学生時代から現在、5m70の記録を超えるまでに、どのような環境でどんなトレーニングを行なってきたのか、振り返っていただきました。

多くの世代の選手にとって参考になるかと思います。


1. 中学生時代

① 中学2年生(PB: 2m40)

父が棒高跳選手であったこと、また、中学に棒高跳経験者の先生がいたこともきっかけとなり、中学2年生の秋より、棒高跳を始めました。

当時の練習環境は走高跳のマットでした。走高跳の選手と一緒に同じマットで練習していました。高跳のマットの横から跳んでいたので、横にズレたら危なかったですね。


この時は、まだ本格的に棒高跳をするつもりもなく、そこまで熱心に棒高跳の練習をしていたわけではありません。

練習では、ただボックスに突っ込み、バーをクリアする遊びをしていた程度です。



当時の助走歩数も、ほぼ覚えていないですね・・・


部活では、棒高跳以外の時間には、走幅跳や100mの練習がメインでした。

とにかく先生から出されたメニューをこなす毎日でした。


② 中学3年生(PB: 3m80)

中学3年生は、本格的に棒高跳に取り組み始めた年です。


中学では相変わらず走り高跳のマットや砂場で練習していました。

それと砂場でも練習していました。

砂場では、突っ込みスイング(倒立)して、足から着地する、こんな練習を遊びの中でやっていました。



週末は近隣にある富士宮北高校に練習に参加するようになりました。

中学時代は、ドリル練習よりは、跳躍の練習がメインでした。


また、中学3年生のどこかのタイミングから、父に技術指導を受けるようになります。

(やっとやる気が伝わったのかな・・・)


この時から、家での自主練習も始まります。

工場に簡易マットを作って、週2〜3回は、夜な夜なポールワークや竹跳びをするようになりました。


また、父が作ってくれた移動ボックスを使った練習を家で行っていました。

助走と踏切の感覚を掴む意味合いがあったなと思います。


2. 高校生時代

① 高校1〜2年生(PB: 4m70〜5m00)

走る練習では、50mの往復走や100mのセット走。また、長い距離を走ることも多かったですね。250mや400m。

印象的だったのは、400m×10本。設定71秒で、ややゆっくりのペースですが、とにかく走っていましたね。


また、高校の練習では、補強と、ウエイトトレーニング(クリーン、ベンチ、スクワット)をしていました。



跳躍練習は、基本的にいつでも全助走です。

当時は14歩くらいだったかなと。

体力が続く限り、跳べるだけ跳んでいました。


土曜日は、軽く40本は跳んでいました。



オフシーズンは中助走にして、それでも本数は決めずにただひたすら跳んでいました。


また、跳躍練習の後には、ポール走をやっていました。

目標にペットボトルを置いて、そのペットボトルに突っ込むという練習をしていました。


② 強さの秘訣!?「夜の部」について

そして、高校時代から「夜の部」が始まります。


家に帰ると工場に、父が出したメニューが貼ってあるんです。

下半身から上半身まで、筋トレが10種類くらい、それぞれ3セットずつ。

これといった決まったメニューではなく、毎日様々なメニューが提示されていました。

ロープスイングは基本ほぼ毎日やっていました。


これを部活から帰って、「夜の部」として、長い時は2時間くらい。


③ 高校3年生(PB: 5m20)

監督が変わり、走る練習のメニューが変化します。

これまでやってこなかったスプリントドリルをやるようになり、短い距離の練習が増えてきました。長い距離でも250m走でした。


この時に印象的な練習は250m×7本。

この時は、ほぼ全力でした。


また、ウエイトトレーニングのフォームもこの時、教えてもらうようになります。

より専門的な指導を受けられるようになったことを覚えています。



跳躍練習は、変わらず全助走で、体力が続く限り、跳べるだけ跳んでいました。


ゴムバーをかけて、突っ込みだけではなく、できるだけスイング、クリアまですることを心がけていました。



ちなみに、冬季練習の時は、アップライトを100cm程度に、シーズン中は80cmに固定していました。

癖として、ポールが立たない跳躍だったので、冬季練習中はしっかりポールを立たせることを重視していました。


「夜の部」のメニューは、この時には重りを使ったトレーニングが多くなってきました。

高校3年時には、背筋台で背筋をする時に15kgや20kgのプレートを担いでやっていたりもしました。


体が壊れるくらい背筋は徹底的にやっていました。


当時の跳躍スタイルとして、足が入り、踏切後にすぐに足が振られる傾向がありました。

だからこそ、振られないように、耐えられるような体を作るためのメニューでした。


3. 大学生時代

① 練習全体について

試合期、夏期の鍛錬期、試合期、冬期といった期分けになっていました。


鍛錬期や冬季練習の時は、毎年チームとしてテーマを決め、そのテーマに合わせて練習が組まれていました。


火曜日に短めの距離(30〜100m)、木曜日に長めの距離(120〜150mなど)を走っていました。水曜日と土曜日に跳躍とウエイトトレーニングを行っていました。


坂ダッシュで走力をつけて、平地でその走力を活かす。そういった練習が印象的です。


また、跳躍練習もとにかく本数をたくさんやっていました。


全助走で跳べるだけ跳んで、全助走で跳べなくなってきたら、次は中助走で力尽きるまで跳んでいました。


① 4年間の背景

1年生の頃は、高校時代の頃の夜練(自主練)の名残で、通常の練習に加えて自主トレーニングを行なっていました。

平日は寮のご飯の時間(21時まで)が終わるギリギリまで、土曜日は10時から16時過ぎまで練習したりしていました。


そのため大学1年生の頃は、よくコーチに「やりすぎ!」と注意されていましたね。


大学2年生の頃に大きな怪我をして、その年のほとんどの時間を試合に戻るためのリハビリで過ごしました。

冬もそのまま練習して、大学3年生を迎えました。


大学3年生の関東インカレ1ヶ月前ごろに、踏み切れない病にかかり、どうやって跳んでいたのか分からないような感覚でした。

父に相談したところ、ポールワークから、握りを少しずつあげて、ポールが立たなったら歩数を伸ばす、それを繰り返し行うように言われました。

そうして試合の1週間前になんとか14歩まで戻すことができました。


あの日は、“なんとか”14歩で跳躍していたという感じです。



あの5m60を跳んでから、踏み切れないという感覚はなくなりました。

代表になったり、大きな試合にも出るようになり、大学3年生の冬は「練習しすぎて怪我することを避けよう」と思い、特に、筋力トレーニング系の練習量を落としました。


そうすると、大学4年生の時はあまり戦える体ではなくて、冬はしっかり練習した方がいいなと、身をもって感じました。


4. 社会人時代

社会人になってからは、ハードルドリルやスプリントドリルをしっかりするようになりました。(ちなみに、夜練習はなくなりました。)


最近の冬期練習の1週間の流れです。


Mon - Rest

Tue - 階段ダッシュ+坂

Wed - ハードル走

Thu - ポール走

Fri - Rest

Sat - 跳躍

Sun - トレーニング


ポール走は、跳躍練習が週に1回になったので、ここでは跳躍の助走距離で、より跳躍に近い感覚で助走をできるようにしています。

補強は基本的に毎日、火曜日と日曜日にウエイトトレーニング、水曜日にはロープ練習をしています。


竹川選手のロープ練習シリーズ

  1. ロープスイング 10*3〜5
  2. ロープクライミング 2往復*3〜5(5mくらい、重り: 12.5kg )

※ もちろんお尻をついてスタート!往復の時もお尻がつくまで降りてきます。


社会人になってから、跳躍練習はシーズン中も冬も全助走でやっています。

多い日は30本くらい跳んでいます。

仕事などで疲労がある時は少なめで、15本くらいの日もあります。


法政大学は絶対に追い風が吹かない環境なので、悪天候は得意ですね。


5. Q&Aコーナー


Q. 高校時にベストが大きく伸びていますが、ベスト更新の要因は?

助走歩数も伸び、スピードが上がったことが要因です。筋力アップもあったと思います。

それにより、ポールのサイズが長くなりました。(中3: 14ft、高1: 15ft、高2: 15.7ft)


Q . 自分が成長していることを実感したポイントは?

特別「このタイミングで大きく成長した!」というよりも、日々、使うポールが変わっていく中で、ポールを切り変えた時にすんなり踏み切れる、そういった時に成長を感じます。



自分は「大きく成長する」ということを実感したことはなくて、ただ毎日やっていく中で、毎日の変化は微々たるものかもしれないですけど、その中に成長を感じる場面がよくありました。


本当に毎日の積み重ね、コツコツ練習する中で少しずつ成長を感じる場面が多いです。


Q. 今の跳躍スタイルが固まり始めた時はいつ頃?

動きがまとまり始めたのは、大学3年生の関東インカレごろからです。


大学1年生で5m30の自己記録をクリアしましたが、あの跳躍があったから、大学2年生の織田記念で腕を折りました。今振り返ると、あの跳躍は間違いでした。

その時から切り離して、大学3年生の頃から跳躍スタイルがまとまってきたと感じます。


大学1年生の5m30の跳躍についてもう少し説明すると、結果的に自己ベストを跳ぶことができましたが、当時は握りを上げることだけを考えていたので、その分、柔らかいポールを使っていました。

踏切時はリード足が出ない、踏切が遠い、握りも無理して高いので、ポールは大きく曲がるのですが、沈むような、クリアするまでが長い、そんな跳躍でした。


その跳躍で練習を続けていたので、大学2年時に怪我をしたと分析しています。


自分の踏み切り技術だと、無闇に握りを上げられないので、それこそ危険な跳躍になります。自分で持つことができる握りの中で、どれだけうまく反発をもらえるか。

無理に握りを上げる必要はなく、上がる時が必ずくるので、その時に握りを上げるようにしています。


ただ「握りを上げればいい」と思っている方がよくいますが、自分にとってちょうど良い、持っている力に応じて握りを上げることが大事だと思います。

握りをあげることは近道に思うかもしれませんが、それで振れなくなるようであれば、ちゃんと握りは下げておくほうがいいと、僕は思っています。


Q. 最後に、高校生や中学生の選手に一言

やはり、スポーツをやる上では「楽しむ」が重要です。

自分自身、怪我をした時や、勝負事が絡む時には、楽しめないことがあります。

しかし、楽しんでいる時の方が、絶対にいいパフォーマンスができます。



どんな時でも、「楽しむ」ことで、絶対に自分の問いからになります。

大きく成長することではなく、どれだけ楽しみながら、コツコツ成長するか、それを忘れずに地道に鍛錬していってください!

Boutaka Channel

「Boutaka Channel」は、全てのボウルター(棒高跳競技者)の『もっと高く跳びたい!』を叶えるために活動します! 運営:NPO法人ボウタカ

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